コラム

論理エンジン研修会の超人気先生~開智学園開智高等学校・加藤克巳先生~【後編】(3)「受験対策、そして学校改革」
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Writer S

今回で加藤先生のインタビューも最終回となりました。学校ひいては教育を変えていくという教育改革にはどうしたらよいのか、という難問に”論理の匠”ならではのご回答をいただきましたので、ぜひともご参考になってください。

学校を変えるということ

―― 学校改革のツールとして、論理エンジンをすべての先生に理解してもらい、全ての授業において、論理的思考と、論理の言葉のやりとりに統一させる……開発者の出口が抱いていた理想がまさに実現されつつある場面を目の当たりにして、正直鳥肌が立つような感さえありました。

加藤先生が目指されているのはおそらく、学校改革、ひいては教育改革だと思います。論理エンジンを改革ツールとして使いこなすコツを教えていただければありがたいのですが。

加藤 学校を変えるということは、簡単に言うと教師を変えるということだと思っています。

学校は、そこで実践されている教育の中身が全ての核です。それを中心として、例えば教育課程やコース制、施設というようなハードウェアの観点、あるいは募集戦略などがあって、総体を構成しています。

学校を改革するということはそれぞれの観点にメスを入れるということです。私学に限って言えば、システムや器などのハードウェアの改革が注目された時代がはるか昔にありました。その後に訪れた、募集戦略でどうにかなっていた時代も今から10年くらい前に終わっています。

そしてここ10年くらい前から、「どういう教育を子供たちに提供できるのか」という、教育内容を再検討する時代になっている。教育の質の追求といったことですね。

教育内容あるいは教育の質というものを突き詰めて考えていくと、やはり学校は授業が中心であって、授業のクオリティを高めることがすごく大事になってくるわけです。

授業のクオリティを高めるためには、当然教師の指導力を高めなくちゃいけない。そのためには何が必要か。パッと思いつくのは、教員研修ですが、なかなか上手くいかないことが多いのが実情です。でもそこでストップするわけにはいかない。

生徒を変えることで教師を変える

加藤 私は、教師を変えるために一番効果的な手段は、教師自身を変えるのではなく、まず生徒を変えることだと思っています。生徒が変われば、教師は変わらざるを得ないんです。先ほどお話ししたように、授業は学校教育の核であり、ベースとなるものです。だからこのベースのクオリティを確実に上げていかなければならない。そのためには授業だけでなく、特別活動やHR活動など、いろいろな場面をとらえて生徒を変えていく、つまり育てていくことが非常に有効だと思います。

荒れた生徒が多い高校は、その生徒に合わせた指導ノウハウをもった教師が必要です。逆に、そういうノウハウをもっていなくても自然に、あるいは必要に迫られてそういうノウハウを身につけていく。

同じように、例えば東大に入りたいという生徒や、もっと勉強したいという生徒が増えてくれば、当然それに合わせないとまずいなと教師は思います。生徒に馬鹿にされては困ると当然思うわけです。

最初は、あまり努力もせず虚勢だけ張って何とかやっていこうと思っていても、生徒が賢くなれば賢くなるほど、あっという間に足元を見られるので、そうなるとやはりまずいなと思うわけです。そして、生徒の前に立つためにはどうしたらいいのか、という風に当然考えるようになるのです。教師が自らのことを「考え始め」ればしめたもんです。

また一方で、教師はやはり論理的に話すべきだと私は思います。感情語で話している教師の言葉は伝わりませんから、やはり論理的に話せるように教師を仕上げたいと考えています。

今の理屈で言うと、教師を論理的にするために手っ取り早いのは、生徒を論理的にするということなんです。生徒が使う言葉が論理的になってくれば、教師も「おっ?」と思うわけです。

教師に対して敬語を使わず友人のように話しかけてくる生徒が多ければ、「なんだこの生徒は」と思いつつも、ラフで楽な人間関係を構築してしまう人も出てくると思います。一方、質問一つしにくる、あるいは解答一つ書くときにも、きちんとした言葉で生徒たちが聞いてくる、書いてくるということになると、教師もそれ相応の対応をするようになるわけですね。

そういう風に、生徒を変えることによって、教師を変えていくという学校改革を目指しています。手段と目的とが一致している教育活動、それを学校改革につなげたい。

―― ある意味、「プロジェクトX」みたいな感じがしますね。
この学校は生徒の雰囲気が違うというのが、授業を見た正直な第一印象でした。もちろん生徒のレスポンスだけではなくて、授業における態度もそうです。本当に聞く姿勢、学ぶ姿勢が出来ているんですね。

雰囲気がどうして違うのかという疑問、それが今のお話で全て氷解した気がします。

論理の本体は“接続詞”

―― 最後に、加藤先生が論理エンジン学習において一番大事だと思っているポイントを教えていただけたらと思います。

加藤 接続詞です。論理の本体は接続詞ですから。
要するに、接続詞を使うことを意識するということですね。論理エンジンでは、主語・述語といった一文の関係から入り、次に、段落相互の関係に入り、それから全体の要旨に入っていうようにと、いろいろなことを勉強していきますが、「論理の本体は接続詞にあり」だと思います。

一文というサイズで考えている時は、あまり接続詞を意識しません。主語・述語ですから、話題を確認すればよいので。日本人であれば、そうそう主語と述語がねじれる人はいないんですね。

ところが、人前で話すときには、1センテンスだけ話すということは基本的にありません。いくつかの言葉を紡いで話していくわけですよね。
その際、論理的でない人と、論理的な人の決定的な違いは、文と文との間に接続詞を適切に挟むか挟まないか、に出てくるのです。挟まないタイプの人は、あまり論理的ではなく、聞いていても分かりにくい。

だから、「自分は論理的な人間になりたい」と心がけて論理エンジンを学び始めたのであれば、日常会話の中でも、ものを書くときでも、読むときでも、接続詞を意識すること。これが多分一番大事で、究極の目標なのかな、という感じがしますね。

―― ありがとうございます。

加藤 余談ですが、接続詞の使い方によって、実は人間の分類もわかるんですよ。
話していて、「つまり」を多用する人間と、「だから」を多用する人間。そして「でも」を多用する人間。まあ口癖みたいなもんだと思いますが、人にはよく使う接続詞の傾向というものがあるように私は感じています。何か言った時に、「でもね」という風に、「でも」を使う人間は、やはり自己主張が強いですよね。勝手な思い込みですが…。そんな風にイコール人間、因果人間、対立人間……もう、そういう風に言えます(笑)。それぞれ特徴的な性格を持っているので、面白いですよね。

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