コラム

論理と国語って違うの? 論理エンジンのこだわり
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出口 汪
論理
論理エンジン

「論理」って、大学で教える「論理学」のこと?「国語」って「論理」とは違うんじゃないの? ――そんな疑問が浮かんだこと、ありませんか?論理エンジンを知るうえでまず伝えたい、論理と国語との関係、『論理エンジン』のこだわりをご紹介いたします。

「論理」とは何か

「論理」という言葉は概して難しいものと捉えられがちです。
書店に行けば、論理に関するビジネス書が所狭しと並んでいます。これらの大半は、大学での知の成果をビジネスマン向けにわかりやすく解説したものです。

それに対し、「論理エンジン」で述べる「論理」とは、もっと根本的なもの――「ものごとの筋道」を指しています。私たちは日常生活においても、知らず知らずのうちに論理を使っています。つまり無意識のうちに筋道を立てているものなのです。

例えば、日常生活のなかでのコミュニケーションでは、相手と正確な意志の疎通をするために「筋道の通った会話」が必要になります。これも一つの論理なのです。

「他者」という言葉があります。たとえ親子であっても、夫婦であっても、お互いに別個の肉体を持つ存在であり、他者です。身体のかゆみや歯の痛み一つとっても、それを共有することはできません。

それぞれが別個の教育を受け、別個の体験を積み重ねる。そうした人間同士、簡単にはわかりあえないという意識が、「他者」という言葉にはあります。だから、他者意識があるところに、自然と論理が発生するのです。

他者意識のもっとも強いものの一つが、活字化された文章です。読み手が誰かわからない、不特定多数の他者なのですから、筆者はおのずと筋道を立てざるをえません。

いっぽう読み手としては、論理という一本の筋道を意識して読むことで、「今がこうなら、次はこうなる」、「次がこうなら、最後はこうなるしかない」と、最後まで見通すことができるようになります。

このように文章を筋道立てて追うこと、すなわち論理的に読むこと――これさえできれば、現代文の得点力は大幅にアップします。それだけではなく、英語、古文、漢文などの読解力もまたアップするのです。

論理力が身につくと、速読力もついてきます。なぜなら、長い文章でも論理さえつかめれば、要点となる大切な数行が見えてくるようになるからです。その箇所が大抵は設問の答え、もしくは根拠となる箇所であり、さらにそれをまとめれば要約文となるのです。

  • 要点を取り出し、図式化する。
  • 小論文における課題文の読み取りができる。
  • 数学や理科の文章題に強くなる。
  • 日本史の史料問題が読解できる。
  • 読書力が強化される。

「論理エンジン」を学ぶことで、これらすべてを包含した“論理的読解力”を身につけることができます。実際「論理エンジン」を始めると、英語や数学、古文の成績がいち早く上昇し、その後遅れて現代文の成績がアップしたという事例が多く見受けられます。

一見不思議な現象ですが、この理由は言語教科だけではなく、あらゆる学問はすべて「論理」という約束ごとで成り立っているからなのです。だからこそ、たえず論理的な思考訓練をし続けることが大切なのです。

論理エンジンと入試問題

東京大学の現代文の問題と、共通テストの評論問題は瓜二つです。抽象度の高い文章の傾向、その長さや難易度をみると、両者にほとんど変わりはありません。設問は、ともに「傍線部を説明せよ」「傍線部の理由を説明せよ」「全体を説明せよ」です。それなのに、教師も受験生も、共通テストは基礎であり、東大の問題はもっとも難解であると信じ込んでいます。

それはなぜか――。

文章を読むとき、なんとなく読み、なんとなくわかったような気になっているからなのです。それでも、共通テストは選択肢があれば、そこそこ得点ができます。しかし、自分でもよくわかっていないことを、どうやって人に説明できるでしょうか。ましてや、ある条件のもとに言語化せよといわれたら、途方に暮れるのは当然です。そうなると、「なにを書いていいのかわからない」となります。

そこで不可欠なのが論理的思考力、つまり論理力なのです。この力を高めることで、文章を論理的に読むことができるようになります。

筆者の立てた筋道をあるがまま理解することができ、設問に対して、筋道を立てて説明することができるようになるのです。

要は、論理の組み替えにすぎないのです。

中学生、あるいは高校一、二年生のうちに、こうした論理力に習熟すれば、東大や京大の問題などじつに簡単にみえてきます。

また、読み取ったことを筋道立ててまとめたり、説明したりする能力が必要なのは、なにも現代文に限ったことではなく、すべての科目の記述・論述対策につながるものです。

論理力を鍛えないまま来てしまうと、受験生になってからいくら記述・論述問題の対策を講じたところで、結局は付け焼き刃にすぎず、大した効果は得られません。

将来、国公立の大学への進学実績を上げたいと考える学校、塾なら、こうした論理力を鍛え上げることが不可欠です。

国語はセンス?

国語はセンス、感覚の教科であり、そのためどれだけ勉強しても効果がない。だから、国語に勉強時間をかけるより、英語や数学に力を注いだほうが得策である――。

これが受験生一般の考え方でした。あるいは、しょせん日本語だから勉強しなくてもなんとかなる。そう考える受験生も、実に多くいます。本当になんとかなるのでしょうか?

入試問題とは、膨大な文章の中から、なんらかの意味で「ただなんとなく読んでも理解できない」文章が選ばれたもので、特に評論文が出題される傾向が強いです。評論文とは、一般の人向けに書かれた論文(専門家向けは学術論文)のことで、評論用語が使われ、論文の文体で書かれています。もちろん論文ですから、『論理の文章』です。

今の子どもたちが日常生活で論文の言葉を使ったり、論文の文体を駆使したりすることはほとんどありません。まして、文章を論理に着目して読み取る訓練も受けていません。

だから、「しょせん日本語だから、勉強しなくてもなんとかなる」とは限らないのです。

しかも、設問の大半は「傍線部を説明せよ」です。採点官という“他者”にわかりやすく説明するためには、筋道を立てなければなりません。それは、なんとなく読むのではなく、文章の論理構造を押さえることによってはじめて可能になるのです。

まさに現代文は論理の教科であることを、おわかりいただけたでしょうか。

センター試験では、評論と並んで小説問題が出題されます。小説こそ、人それぞれにいろいろな読み方があると思いがちです。
しかし、入試問題で問われるのは、「小説の中の一場面をどのように客観的に分析したか」という学問的能力の有無であり、あなたが作品をどう評価したかなどはいっさい聞かれないのです。

第一、出題されるのはエンターテイメント作品ではなく、決まって文学作品です。文学作品とは時代を超えて読み継がれるもの。そのために、その時代がどんな時代で、そこでは人々がどんな暮らしをし、どのような価値観のもとに生きていたのか、後の時代の人間にも理解できるように描写されています。

そうした文学作品のほんの一場面を切り取ったものが、問題文です。

私たちが小説を読むときは、ふつう一ページ目から読みます。そして読み進むにつれて、書かれている言語の情報から、その時代がどんな時代で、登場人物がどんな性格で、いまなにが起こっているかわかるから、次の場面をスムーズに読むことができるのです。
ところが、入試問題は小説のほんの一部が切り取られているだけです。情報が何一つ与えられることなく、いきなりその場面を読み取らなければならないのです。

だから、普通に読んでいては設問に答えることはできません。文中から確実に根拠を探し、登場人物の心情を客観的に把握していく読み方でなくてはならないのです。

そのためには、一貫した方法論と、一定量の訓練を必要とします。いくら小説が好きで、今までたくさんの本を読んでいたところで、必ずしも入試の小説問題が解けるようになるわけではないのです。

もちろん、大学側の狙いは、入学後に論文を読んだり書いたりするための基礎力を試すことにあります。さらに、テキストや資料をいかに客観的に分析できるかを試そうとしているのです。

現代文とは不思議な教科です。本来の入試のありようと、大学側の狙いと、高校側や生徒たちの思いこみが、これほど乖離している科目など、ほかにあるでしょうか。

だから、いくら学習しても効果が上がらず、それをセンスや感覚のせいにしているだけなのです。

論理の習熟について

週に一回、英会話教室で外国人と話をしても、それだけで話せるようにはなりませんが、留学して一年じゅう英語で生活すれば、だれでもある程度は話せるようになります。これは言葉の使い方に習熟し、意識せず使いこなせるようになったからです。

日本人にとっての論理とは、日本語の規則に従った使い方です。英語習得と同様に、言葉の使い方である限り、習熟しなければ意味がありません。最初は論理を意識するのですが、習熟すると、やがて論理そのものを意識しなくなります。

以下は、出口汪『「論理エンジン」が学力を劇的に伸ばす』(PHP研究所)より引用した文章です。

私の書いた参考書を使って成績が上がる受験生もいれば、上がらない受験生もいる。

失敗した受験生は当然、不満を口にするのだが、そのなかでいちばん多いのは次のようなものである。

「あの先生の本はわかった気にさせるが、ちっとも力がつかない」

そのとおりである。

私の本を読んで、私が入試問題をどのように読み、どのように解いたかを知っても、次の瞬間に受験生が私と同じ頭の使い方ができるはずがない。

大リーガーのイチロー選手がバッティングの技術を本にまとめたとして、その本を読んだ人がすぐにイチロー選手と同じバッティングができるはずがないのと同じことだ。それは当たり前のことなのに、受験現代文となると、その当たり前のことが怪しくなる。

考えてもみてほしい。一冊の本を読むだけでうまくいくなら、だれも私の講義を一年間受講する必要もないし、高校までの十二年間の国語の授業など無意味といえる。

プロ野球選手は、最初は一年間戦えるように体を鍛え、フォームを意識して練習をする。徹底的に打ち込み、投げ込み練習をして、フォームを自分のものとする。

そのうえで、紅白戦、オープン戦など、実戦練習に進む。だからこそ、そのフォームに習熟し、試合のときは無意識に体が動くのである。

ほかの教科は別にして、文章を論理的に読み、設問に対して論理的に答えるということは、そういうことなのである。くりかえしになるが、論理に習熟しなければ意味がない。

そして、「論理エンジン」は習熟するためのシステムなのである。

出口汪『「論理エンジン」が学力を劇的に伸ばす』(PHP研究所)より

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