コラム

論理エンジン研修会の超人気先生~開智学園開智高等学校・加藤克巳先生~【前編】(5)「論理エンジンをグループワークで」
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Writer S
開智学園
加藤克巳

今回は論理を用いた国語教育をソーシャルスキルとして生徒たちにディベートの指導も行っている加藤先生のインタビューの続きになります。対話が苦手とされる日本の社会にもぜひこのような教育が望まれることでしょう。

論理エンジンをグループワークで

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加藤 話が少しそれますが、私の指導におけるもう一つのキーワードは、「学び合い」です。教師が全てを自分の側で引き取ってしまって論理エンジンを指導しようとすると、おそらく分厚い解説書が必要だし、教師の技量に委ねられるところもあります。

でもOSの場合には、たかだかあのレベルなので、子どもたちも臆せずにいくらでも発言できるんです。なので、私の場合には36人のクラスなのですけれども、それを様々なサイズでグループ分けします。例えば3人ずつ12のグループを作る時もあれば、9人ずつ4グループの時もあります。

問題によって、「あっ、これはいろんな意見が出てきそうだな」と思う時には大人数で組みます。「これはもう確認だけだな」と思う時には少人数で組みます。あるいは隣同士ペアでということもあります。

そして最初にある程度時間を与えて、「じゃあ今から、レベル20のステップ1から3までやって。時間は7分ね」と振って、時間が来ると「じゃあ、そこでやめて3人組」と、3人で組ませ、そして答え合わせをさせます。解答は見せません。

で、「自分たちでまずは正解を作りなさい」と言うと、生徒同士見合って「みんな一緒だな」ということもあれば、「あれ、違うな」ということもあり、一斉に話し合いが始まる。グループで1つの正解を作らなくてはならないので、「なぜ?」「なんで?」という話になっていき、最終的に答えが一つにまとまります。

その後私は黒板の前でその答えを発表させますので、簡単ですけれども、なぜその答えに至ったか、を説明する発表原稿も書かせていきます。

例えば12グループあると、その全部が全く同じ答えであることはあり得ません。結果は同じでもプロセスが違っていたり、あるいは違った答えを出していたりするのです。いろいろあって実に面白いですよ。

ですから極論すれば教師の側が正解を別に持っていなくてもいいんですね。子どもの持っている自己教育力は非常に高いんです。子どもたちに発表させて、ディベートじゃないですけれど、一番支持された答えが正解で構わないです。

違う答えもおそらく実は間違いではないんですよ。いわば全部解答書に載せるべき答えなのだと思います。間違いではないので、「みんなそれなりにOKだよね。でもこの中でどれが一番良いと思う」というような流れで1つの正解が決まり、それが解答書と違っていたとしても、「これは君ら36人が考えた答えで、私もそれでいいと思うよ。じゃあこれも模範解答に加えておこう」と。私なんかそういう風にやっちゃいますね。

そういう風に「学び合い」をさせることによって、クラスも活気が出てきますし、教師も生徒の反応を見ながら、それに応じた指導をすることができます。

論理エンジンを「教え込もう」と考えている先生は、「教材研究に時間がかかる」とお思いになるかもしれませんが、そんなときには「学び合い」を積極的に取り入れることによって、今までの指導から少し外に出られるかもしれませんね。

学び合いとディベートが特色の学校

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―― 一方的に授業を聞くだけであれば、子どもたちの間にフラストレーションがたまっていくと思うんです。しかし、手を挙げるのも勇気が要ります。このようなグループワークなら、友達の中で「えっ、なんで?」とか、「私はこんな風に思うんだけど」と、どんどん発言が出てくるのでしょうね。

加藤 本校では「学び合い」を非常に重視しているので、いろいろな教科で行っています。例えば数学では、教員に教えを請うてきても最初はまず教えません。「自分でまずはよく考えてみなさい」と。で、分からなかったら「友達に聞いてみなさい。相談してやってごらん」と。「それでもどうしても分からなかったら、どこからが解決できなかったか話に来なさい」という感じですね。数学でも英語でも「学び合い」の時間は非常に多いですね。

―― 発言の場がない一方通行の授業は、苦手科目ができるとどんどん分からなくなっていく悪循環に陥ってしまいます。ところが今先生が取られているような、時には発言する場があり、分からなければ友達と一緒に「学び合い」ができる環境は、極端なことを言えば、全員で落ちこぼれを防いでいる、みたいなものですね。

加藤 そうですね。

―― 開智高校ではディベートに関する取組みにも力を入れていますよね。

加藤 ディベートもよくやりますね。高校1年生では2回から3回。入学直後の合宿からディベートをやりますから。ディベートは子どもたちも積極的に取り組みますし、非常に面白がってやりますね。

―― 先生はこの教材を取り入れるには、教師がある種の潔さを求められるとおっしゃいました。1年目は、他校から見れば失敗じゃないのかもしれないけれど、先生いわく失敗だったと……。2年目に大転換してその潔さを貫けた理由を教えてください。

加藤 これをやらないと、我々が育てたい子どもたちを育てられないからです。どうしてもわれわれのように進学校の仲間入りをし始めているレベルだと、ややもすると学校の授業が予備校化していきます。受験偏差値を上げる指導に偏ってしまうんですね。しかし予備校化していく学校には、必ず限界が来ます。なぜならこの指導は教育が担う役割のごくごく一部でしかないからです。

ソーシャルスキルと国語力

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加藤 われわれS類が取り組んでいる、論理エンジンとは別のもう一つの柱として「ソーシャルスキルの育成」というのがあります。

最近の子どもたちはソーシャルスキルに欠けるところがありますね。例えば大学生になっても便所の個室で弁当を食べる。「便食」というらしいのですけれど、こういう学生が非常に増えてきている。これはもうニートへの入口です。

お互いにコミュニケーションが取れないし、善悪の判断基準もない。その原因は多様だと思うのですが、一つには、かつて日本が持っていた社会の教育力、家庭の教育力というものが急激に失われてきているということが挙げられると思います。そしてもちろんこんな現状でよいわけがない。どこかでそれを教えなくてはいけないのです。社会や家庭の教育力が低下しているのであれば、それを学校が担っていくしかない。学校が担うべき教育力というのは多彩ですが、その範囲を広げざるを得ない状況になっている。さらに、そういう意味では高校が最後の砦だと思うのです。だからソーシャルスキルの育成を教育の1つの柱と考えたのです。

論理エンジンに戻りますが、ソーシャルスキル育成のベースとして、われわれ国語科は単に受験学力だけではなく、人間関係を的確に構築するための国語力というのをやっぱり身につけさせなくちゃいけない。言語コミュニケーション能力です。そういう意味ではこの論理エンジンという教材は本当にいい教材です。

一年目には実施方法に問題があっただけでなく実施主体の私自身が論理エンジンを良く知らなかったということで、失敗しました。自分で見ながらやっていくという形だったので、先が見えなかったのですね。

だからいろいろな地方の研究会等にお招きいただいた時は、私は、「先生方、論理エンジンを全部自分で解いていますか。生徒に教える前に少なくともOS1からOS5まで一通り全部自分で解いてないとダメですよ」と必ず言っています。

1年目の反省をする中で、導入を再考する声もありましたが、先ほどお話ししたように、論理エンジンには単なる国語力を鍛える以上の学習効果が期待できます。さらに言えばS類の教育には不可欠な教材でもあったわけです。であれば論理エンジンがあることを前提として、それを存分に生かす方法を開発しよう、という流れにあり、指導方法の大きな転換をすることができたのです。

(後編に続きます・・・)

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