はじめに
「勉強は我慢して努力するもの」――多くの子どもがそう思い込んでいます。
しかし、学びとは本来「遊び」であり、「楽しいから続けられるもの」だと説きます。私も若い頃は勉強を楽しめず、三十歳を過ぎてから「自分で考え、自分で学ぶ喜び」に目覚めた経験を持つからです。
学びが「努力」や「義務」になってしまえば長続きしません。しかし「楽しい」と思えたとき、人は一生涯学び続けることができます。これは「人生100年時代」を豊かに生き抜くために欠かせない力です。
「勉強は努力ではなく、学びは遊びである」本来の学びは、楽しさの中から自ら考える力を育むもの。しかし日本の教育は“日和見主義者”を量産してきました。コロナ禍や歴史の事例を踏まえ、いま教育現場に求められる「自律の回復」とは何かを考えます。
「勉強は我慢して努力するもの」――多くの子どもがそう思い込んでいます。
しかし、学びとは本来「遊び」であり、「楽しいから続けられるもの」だと説きます。私も若い頃は勉強を楽しめず、三十歳を過ぎてから「自分で考え、自分で学ぶ喜び」に目覚めた経験を持つからです。
学びが「努力」や「義務」になってしまえば長続きしません。しかし「楽しい」と思えたとき、人は一生涯学び続けることができます。これは「人生100年時代」を豊かに生き抜くために欠かせない力です。
コロナ禍の自粛要請で人々が一斉に従った状況を例に挙げます。法的拘束がないにもかかわらず、政府の言葉にそのまま従った姿に「戦時中の日本」と同じ構造を見たといいます。
戦時中は「大勝利」と宣伝されれば鵜呑みにし、疑う人は「非国民」とされた。こうした“自分で考えず、上からの言葉に従う”姿勢が、日本人の弱点として今なお続いているのではないか、と警鐘を鳴らします。
重視するのは、孔子の思想「中庸」です。
ただし「中庸」には二種類あるといいます。
小人の中庸:日和見主義。大勢に流され、自分の意見を持たない態度。
大人の中庸:自分で考え、極端に偏らず、バランスを保つ姿勢。
歴史を振り返ると、フランス革命後の粛清や昭和の軍国主義など、社会の大混乱は「日和見主義」が広がったときに起こっています。日本の教育は長らく「小人の中庸」、すなわち日和見主義者を量産する方向に傾いてきたといえます。
いま必要なのは「大人の中庸」、すなわち自律的に考える力の回復です。
与えられた答えを暗記する教育ではなく、情報を自分で選び取り、深く考え、正しく判断する力を育てる教育こそが求められています。
先生自身が「学びは遊びだ」と実感し、子どもたちに「考える楽しさ」を伝えていく。そこからこそ、未来を切り拓く新しい教育が生まれるのではないでしょうか。私はそんな教育を目指しています。
引用:出口汪の学びチャンネル