コラム

映像脳の恐怖!~国語力、読解力不足の根本理由~
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出口 汪
論理
思考力
読解力
言語
国語
教育

現代において、子どもたちの読解力が低下しているという問題は、教育現場でますます耳にするようになっています。この問題を掘り下げていく際には、論理思考や国語の学習方法、語彙力の低下といった多岐にわたる要因を考慮する必要があります。しかし、私が最も重要だと考えるのは、現在の教育環境が映像文化に深く影響されているという点です。

映像文化と活字文化の対比

映像文化の普及により、子どもたちはテレビ、映画、アニメ、YouTubeなどに囲まれた環境で育っています。この環境は、活字文化に触れる機会を大幅に減少させています。かつての日本では、書物を通じて論理を構築する力が養われていました。古典文学や現代小説、さらには教科書を用いた学習を通じて、文章から情報を読み取り、自らの思考を深める能力が育まれていたのです。

しかし、映像文化はその真逆ともいえる受動的な情報摂取を促進します。映像を通じたストーリーは、すでに視覚的情報が用意されているため、視聴者は映像を消化するだけで済み、活字を読み解く必要がないのです。このような環境では、耳で聞くことや目で見ることが中心になり、国語における読解力や論理力の重要性が薄れてしまいます。

読解力の低下とその影響

読解力が低下すると、国語の授業における活動や教材も影響を受けます。
たとえば、教科書に掲載されている文章の読み解きが困難になると、入試においても不利になります。入試で求められるのは、思考力と問題解決能力であり、これらは読解力と切り離せません。したがって、教育現場には、映像文化の影響を受けつつも、子どもたちに必要な論理力を養う教育的な対応が求められています。

また、読書は自分の頭の中に新しい世界を構成するための重要な手段ですが、映像文化の影響でその機会が失われつつあります。例えば、小説を読むことに慣れ親しんでいる子どもたちは、文学作品から抽象的なテーマを探索し、それを基に自らの考えを深めることができるのに対し、映像のみを視聴しているとそのような学びの機会が乏しくなります。

視覚的な印象と活字から得る情報

私が教師として経験した中で特に印象に残っているのは、「伊豆の踊子」を教材として使った授業です。この小説の感想文を書く宿題を出した際、映画を先に見てしまった生徒がいることに気づきました。彼らの感想文は、視覚的な印象だけに頼り、活字から得た情報をもとにしていなかったのです。これは、論理的な思考や深い理解が欠けている証拠でした。活字を通して、あたかも昭和の初期の日本の風景や人々の生活、登場人物の背景を理解することで、より能動的な学びが生まれます。逆に、映像はすでに情報を構成し、情景を提示してしまうため、受動的な理解につながるのです。


もちろん、映像文化が悪いわけではありません。映像コンテンツにも素晴らしい作品が多く存在し、教育においてもその取り入れ方を工夫する必要があります。しかし、それらが国語の学習や読解力の向上にどのように役立つのかを考えたとき、映像と活字文化のバランスが重要であると感じます。

教育に求められていること

教育現場では、教材として映像を積極的に活用しつつ、文章を通じて深い理解を促進するような授業を展開することが求められています。

最終的には、教育の目的は単に知識を詰め込むことではなく、思考し、問題を解決できる力を育むことです。国語教育を通じて、子どもたちが自らの頭で考え、論理を組み立てていく力を身につけることが、現代社会を生き抜くための鍵となるのです。私たち教育者は、映像文化の影響を理解し、それに対応できる柔軟な教育アプローチを模索していかなければなりません。

物語・説明文・生活文など、各学年のレベルに応じた文章をバランスよく配置しているので、楽しみながら読む力・書く力・考える力を養成することができます。
・確かな「国語力」と健全な「考える力」を育てる教材『論理エンジン』シリーズ

引用:出口汪の学びチャンネル

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