世の中で成功したり評価される人というのは、もちろん豊富な知識であったり、経験であったり、能力もあるかもしれませんが、意外と一番大事なのは「人間の器」と僕は思っています。
器の小さな人は、大きな器を持った人を計ることができない
結論を最初に言うと、相手を計るとき、自分の器でもってしか計ることができない、と思っています。
昔、予備校の講師をやっていた時に、人を悪く言う人がいました。どうしてそういうことを言うのかというと、その人が人を悪く言うから、相手も同じだと思ってしまうのです。
僕は、人は自分の器でしか相手の器を計ることができないんだ、と思ったのです。つまり、小さな器の人は、大きな器を持った人を計ることができない、ということになります。
これって考えたら非常に怖いと思いませんか。
器が小さい人は、その器で人を見るわけだから、すぐ嫉妬したり、相手を憎んだら相手もそうだと思ってしまう。お互いそう思っているわけだから、表面的な人間関係はできても、心の中では相手を信用していない。だんだんそういう人ばかりになってきてしまいます。
さらに、器の大きな人というのは計れないので、コミュニケーションもだんだんとらなくなってきます。相手が何を考えているのかよくわからない、心地の悪い人(器の大きな人)を避けて、同じような自分の器で計れる人間とだけ付き合うになっていくということは、より小さな器の人ばかりと人間関係を結ぶことになっていくのです。
そして、お互いに自分の器で相手を計るから、疑心暗鬼、あるいは陰で悪口を言うといった集団ができてしまうのです。こういった人は、生きていく上でうまくいかないですよね。
大きな器に抱かれた人は居心地がよいから、その人を慕うようになります。だから、多くの人の上に立つ人は、器が大きくないとうまくいかないのです。
人生において器が大きいというのはすごく大事で、これは恋人とか男女関係でも同じです。器の小さい同士だと喧嘩が絶えないと思います。
大きな器で子どもに接する
教育の中で、子どもたちに対して大きな器で接することも重要です。子供の器を大きく育てるためには、親や教師が子供を理解し、包み込む姿勢が必要です。このような対応を通して、子供たちが自ら考え、問題を解決する力を身につけることができます。
さらに、社会に出ても器の大きな人というのは、より多くの人を包み込むことができるか、そんな細かい失敗とかは気にならないので、当然成功するか、しないかだけでなく、非常に居心地のいいコミュニティーをつくることができるのです。
器の小さな人は、狭い人間関係の中で外の世界が見えなくなる。その中で必死になって「あいつさえいなければ、あいつを抜かしてやろう」と、ものすごく息苦しいと思うのです。
そこで狭い世界の中で敵を追い出したところで、また次に別の人と同じことを繰り返していくわけです。そうすると、安らぎを感ずることもなければ、本当の効果も得られないと思います。お金がもうかった、出世したということを幸福と思っているかもしれないですが、本当の幸福感というのはそういうものではないと僕は信じています。
自分の器を変えることはできるのか?
ある程度大人になったら自分の器を変えることというのはなかなかできないのです。子どものときに器を大きくするというのは比較的楽であって、どこかで固まってくるのです。一旦固まったら、その器を変えることというのは非常に難しい。
でも不可能ではない。
大人になってからでも自分の器を変えることは可能です。自らの器を見つめ直し、意識して努力することで、器を大きくすることができます。相手を理解し、包み込む姿勢を持つことで、より豊かな人間関係を築くことができるでしょう。
こういったことを意識するとだいぶ生き方も変わってくると思ます。
これまでのコラムで述べてきたように論理的思考を身につけることは、人生を豊かにするために必要不可欠です。国語などの教科を通じて、文章や資料を読解し、問題を解決する力を養いましょう。そして自分の器を大きくし、相手を理解し包み込む姿勢を持つことで、豊かな人間関係を築くことができるでしょう。
みなさんの器はどんな器か、まず一度考えてみてください。