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探訪・論理の匠

論理の匠 vol.5

~志桜塾代表 長谷 剛先生~

最強のプロ国語教師は、平成の吉田松陰だった

- 第2部 オープンスキル、クローズドスキル-

教師としてのスタートライン

―― 先生が高校の国語科教諭を目指されたきっかけを教えてください。

長谷 大学時代は、実は小学校教員養成課程でした。ですから、小学校免許を主としながら、中学に上げ、高校に上げ……。
ちなみに国語は、それなりに昔から得意でした。でも、大学入試の2次試験で選択したのは数学でしたね。その方が分かりやすかったから(笑)。

―― ではなぜ国語の道に?

長谷 小学校教員養成課程の中で、どこかのゼミに属さなければならなくなった時、数学 は好きで出来たんですけども、やっぱり文系ですから、学んでこなかった数学ⅢCがキツイだろうと思ったんです。
国語だったら何とかなるんじゃないかっていう安易な思いでした(笑)。

―― エピソードとしては非常に面白いですね。

長谷 選んじゃったんですよ。そうしたら、そのゼミの“コッケン”という通称は、国研ではなく、残酷の酷だった(笑)。つまり、酷研でした。
私はテニス部で、高校時代もインターハイに行って、大学でも「やるぞ!」という意気込みで、大学の2次試験が終わった後、ラケットを買って帰ったんですよ。
親が、受験だから余分にお金持たせてくれるじゃないですか。その余分なお金で(笑)。家に帰って第一声が、「試験できたよ」ではなく、「いいラケットがあったよ」だったので、すごく叱られた記憶があります。

―― たしか、教員一家でいらっしゃいましたよね。

長谷 はい。父が小学校の教員なので、後を継ぐような気持ちで、最初は小学校の課程に 入ったんです。だけど、やっぱり部活でテニスを指導できるのは高校しかないので、教員採用試験に5回目で受かって、国語の先生になりました。
講師時代は、正直に言うと、答えを見ながら適当なことを授業で言っていましたね。1年目、教壇に立ったときには、隣の先生に「現代文なんて教えられませんよね」っていうところからスタートしたんです(笑)。
講師2年目に、すごく賢い男の生徒がいました。柔道に打ち込んでいた子だったので、同じ体育会系の匂いを私に感じたのでしょうか、勢いだけでやっていた私を、「あの先生、ちゃんと頑張ってる」とか、「あの先生はよく分かる」等と褒めてくれたんです。それがかえって申し訳なくて、そこから本格的に勉強したと言いますか。

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